「歎異抄」第2章を読みました。
親鸞聖人は、流罪になった越後から42歳のころに北関東(現在の茨城県あたり)へ移住し、そこで20年間、教えを伝える伝道生活をして、60歳を過ぎて京都へ戻ります。その20年の間に親鸞の教えを聞く人々のグループができていくのでした。
親鸞聖人が京都へ戻ってから北関東のグループは混乱に陥っていきます。(いくつか理由がありますがここでは割愛します。)そこで困り果てた弟子たちが、京都にいる親鸞のもとを訪ね教えを請う、という場面が第2章の内容です。
親鸞聖人はたずねてきた弟子たちに答えます。
わたし親鸞は、師である法然上人の「ただ念仏すべし」という教えを信じているだけです。
念仏は浄土へ行くための手段なのか、地獄へいく行為なのか、そんなことは全く知りませんと。
当時の人々は、この世は短くあの世は長いと考えていたそうです。自分が死んでから浄土へ行くのか地獄へいくのかということはとても切実な問題なのでした。
親鸞聖人が問題にしたのは「あの世」でのことではなく、どこまでも「いま」なのでした。
親鸞聖人は「いま」こうしてたまわっている
「わが身」を念仏に聞いていかれました。
私たちはできるだけ人に迷惑をかけずに生きていきたいと願います。
しかし、いまこうしてたまわっている「わが身」の事実は、迷惑をかけずには一日も生きていくことのできないわが身です。
そう自覚させられてくるところに、今まで見えていなかったことが、見えてくるのかもしれません。
「往生というのは今まで踏みつけにしていた大地をいただく身になることである」安田理深