聞法会

聞法会 · 2022/11/04
27日と28日の二日間、令和四年の報恩講がつとまりました。 27日は聞法会も兼ねており、賑やかな報恩講となったようです。親鸞聖人は小豆好きとの伝承にちなみ、おしるこのふるまいをいたしました。 28日は今年も午前のみの開座。花井性寛師よりご法話いただきました。「往生」は「誕生」することですよという言葉が耳の底に残りました。 個人的な話ですが、...
聞法会 · 2022/10/04
歎異抄第9章を読みました。 第九章は「念仏申し候へども、踊躍歓喜のこころおろそかに候ふこと、またいそぎ浄土へまいりたきこころの候はぬは、いかにと候うべきことにて候やらんと。」 という唯円さんの親鸞聖人へのぶっちゃけた質問から始まります。この時、唯円さんは30代半ば。親鸞聖人は83、4歳でした。...

聞法会 · 2022/08/30
歎異鈔第八章を読みました。 「念仏は行者のために非行・非善なり。わがはからいにて行ずるにあらざれば、非行といふ。わがはからいにてつくる善にもあらざれば、非善という。ひとへに他力にして、自力をはなれたるゆへに、行者のためには非行・非善なりと、云々」 八章は念仏を手段にしてはいけないんだ。ということが確かめてられています。...
聞法会 · 2022/07/28
7月聞法会は花井性寛さんのお話をいただきました。 「念仏には無義をもって義とす。不可称不可説不可思議のゆえに」とおおせそうらいき。(歎異抄第10章)のことばを中心にお話しいただきました。 あらためて「念仏」とはなんだろうと考えさせられました。 自分の願いを叶えるための手段? ご先祖さまのためにするもの?...

聞法会 · 2022/06/26
歎異抄第7条を読みました。 「念仏者は無碍の一道なり。そのいわれいかんとならば、信心の行者には天神地祇も敬伏し・・・」と語られます。 無碍の一道とは、わたしにいただいた境遇を引き受けて人生を歩む覚悟がさだまる。 ということではないかというお話を住職と私とでお話しさせていただきました。...
聞法会 · 2022/05/30
歎異鈔第六条を読みました。私は通夜のため不参加。住職がお話しさせていただきました。 第六条では「親鸞は弟子一人ももたずそうろう」と語られます。この言葉が語られた背景はなんでしょう。 住職が松本梶丸著『生命の見える時一期一会』(中日新聞本社)の文章を紹介してました。...

聞法会 · 2022/04/30
歎異鈔第五条を味わいました。私がお話しさせていただいたことをまとめてみます。 第五条を読んで、まず「むむむ?」と思うのは、 「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。」 (わたくし親鸞は亡き方を思ってその人が死後も安らかでありますようにと追善供養のために念仏したことは一度もありません)...
聞法会 · 2022/03/25
始まりました。 メイン講師の花井性寛先生より『歎異鈔』の第10条についてお話しいただきました。 私の"はからい"が破られてくるということがお念仏にあうということだと聞かせていただきました。 花井先生の著書をプレゼントしていただきました。本堂の文庫コーナーに置いてありますので、ぜひ手に取ってお読みください。 次回の聞法会は4月28日19時〜です。...