なぜ仏壇に水を供える必要がないのか

以前、ある方がこんなことを話してくれました。その方は僧侶の法話で、

「浄土真宗では仏壇に水は供えないものだ。水なら華瓶(花瓶のこと)の中に入っているのだから、わざわざコップに水を入れて仏壇に供える必要はないんだ。」

と聞いたのだそうです。その方は、それを聞いて、こう思ったそうです。

「ご先祖さまは華瓶の水なんて汚くて飲みたくないだろうなあ」と。

それを聞いて、そりゃそうだと妙に納得させられたことがありました。

実は仏壇に水を供えていいのか悪いのかという質問をいただくことが多いです。
私は、「水をお供えする必要はありませんが、してはいけないということでもないと思うので、お供えしたいという気持ちがおありでしたら、どうぞお供えしてください」と答えるようにしています。

さて、なぜ水を供えるのでしょう。
それは、ご先祖さまの喉が渇かないようにという素直な心情から起こる行為なのだと思います。

ただしこれは、亡くなった方を、喉が渇いたりお腹が空く「餓鬼」として見るあり方だと浄土真宗では厳しく見ていきます。
亡くなった方は浄土へと還られた「仏」ですので、仏壇に水を供える必要はないのでした。
 
水というと、「一水四見」(いっすいしけん)という言葉が浮かびます。
水といえば人間には飲むものですが、魚には住処であったりという、同じものでも立場が違えば受け取り方が違うということを教える仏教の言葉です。
得手して自分の受け取り方だけが正しいと思い込んでしまうのがわたしたち凡夫です。仏壇に水を供えることを通してはて私はどうだろうかと考えてみるのもいいかもしれません